北澤風景
夕べが來ると僕は、臺所の入口の敷居の上で、使ひ殘りのキャベツを輕く、庖丁の腹で叩いてみたりするのだつた。
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臺所の入口からは、北東の空が見られた。まだ晝の明りを殘した空は、此處臺所から四五丁の彼方に、すすきの叢があることも小川のあることも思ひ出させはせぬのであつた。
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――甞て思索したといふこと、甞て人前で元氣であつたといふこと、そして今も希望はあり、そして今は臺所の入口から空を見てゐるだけだといふこと、車を挽いて百姓はさもジツクリと通るのだし、――着物を着換へて市内へ向けて、出掛けることは億劫であるし、近くのカフヱーには汚れた卓布と、飾鏡とボロ蓄音器、要するに腎臟疲弊に資する所のものがあるのであるし、感性過剩の斯の如き夕べには、これから落付いて、研鑽にいそしむことも難いのであるし、隣家の若い妻君は、甘ツたれ聲を出すのであるし……
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僕は出掛けた。僕は酒場にゐた。僕はしたたかに酒をあふつた。翌日は、おかげで空が眞空だつた。眞空の空に鳥が飛んだ。
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扨、悔恨とや、……十一月の午後三時、空に揚つた凧ではないか? 扨、昨日の夕べとや、鴫が鳴いてたといふことではないか?