未刊詩篇

中原中也

〔一九二三年-一九二八年〕

夏の夜

暗い空に鐵橋が架かつて、 / 男や女がその上を通る。 / その一人々々が夫々の生計なりはひの形をみせて、 / みんな默つて頷いて歩るく。

吊られてゐる赤や綠の薄汚いラムプは、 / 空いつぱいの鈍い風があたる。 / それは心もなげに燈つてゐるのだが、 / 燃え盡した愛情のやうに美くしい。

泣きかゝる幼兒を抱いた母親の胸は、 / 搔亂されてはゐるのだが、 / 「この子は自分が育てる子だ」とは知つてゐるやうに、

その胸やその知つてゐることや、夏の夜の人通りに似て、 / はるか遙かの暗い空の中、星の運行そのまゝなのだが、 / それが私の憎しみやまた愛情にかゝはるのだ……。

私の心は腐つた薔薇のやうで、 / 夏の夜の靄では淋しがつてすすりなく / 若い士官の母指おやゆびの腹や、 / 四十女の腓腸筋を慕ふ。

それにもまして好ましいのは、 / オルガンのある煉瓦のやかた / 蔦蔓つたかづら黝々くろぐろと匐ひのぼつてゐる、 / 埃りがうつすり掛かつてゐる。

その時廣場は汐ぎ亙つてゐるし、 / お濠の水はさゞ波たてゝる。 / どんな馬鹿者だつてこの時は殉敎者の顔付をしてゐる。

私の心はまづ人間の生活のことについて燃えるのだが、 / そして私自身の仕事については一生懸命錬磨するのだが、 / 結局私は薔薇色の蜘蛛だ、夏の夕方は紫に息づいてゐる。

目次

未刊詩篇

  1. 〔一九二〇年-一九二三年〕
  2. 〔一九二三年-一九二八年〕
  3. 〔一九二八年-一九二九年〕
  4. 〔一九三〇年-一九三二年〕
  5. 〔一九三三年-一九三四年〕
  6. 〔一九三五年-一九三七年〕

〔一九二三年-一九二八年〕

  1. タバコとマントの戀
  2. ダダ音樂の歌詞
  3. 春の日の怒
  4. 戀の後悔
  5. 不可入性
  6. (戀の世界で人間は)
  7. (天才が一度戀をすると)
  8. (風船玉の衝突)
  9. (何故親の消息がないんだ)
  10. 自 滅
  11. (あなたが生れたその日に)
  12. 倦怠に握られた男
  13. 倦怠者の持つ意志
  14. 初 戀
  15. 想像力の悲歌
  16. 古代土器の印象
  17. 初 夏
  18. 情 慾
  19. 迷つてゐます
  20. 幼き戀の囘顧
  21. (題を附けるのが無理です)
  22. (何と物酷いのです)
  23. (テンピにかけて)
  24. (假定はないぞよ)
  25. (酒は誰でも醉はす)
  26. (名詞の扱ひに)
  27. (酒)
  28. (最も純粹に意地惡い奴)
  29. (バルザック)
  30. (ダツク ドツク ダクン)
  31. (古る摺れた)
  32. 一 度
  33. (ツツケンドンに)
  34. (女)
  35. (頁 頁 頁)
  36. (ダダイストが大砲だのに)
  37. (概念が明白となれば)
  38. (成 程)
  39. (過程に興味が存するばかりです)
  40. (58號の電車で女郎買に行つた男が)
  41. (汽車が聞える)
  42. (不隨意筋のケンワク)
  43. 呪 咀
  44. 眞夏晝思索
  45. (人々は空を仰いだ)
  46. 冬と孤獨と
  47. 或る心の一季節
  48. 秋の愁嘆
  49. 無 題(緋の色に心はなごみ)
  50. 秋の日
  51. (かつては私も)
  52. (秋の日を歩み疲れて)
  53. 無 題(あゝ雲はさかしらに笑ひ)
  54. 涙 語
  55. 浮浪歌
  56. 春と戀人
  57. 夏の夜
  58. かの女
  59. 少年時
  60. 夜寒の都會
  61. 地極の天使
  62. 春の雨
  63. 屠殺所
  64. 無 題(疲れた魂と心の上に)
  65. 處女詩集序
  66. 詩人の嘆き
  67. 聖淨白眼
  68. 秋の夜
  69. 冬の日
  70. 幼なかりし日
  71. 間奏曲

このファイルについて

底本
中原中也「中原中也全集 第 1 巻」角川書店
1967 年 10 月 20 日 初版發行
1967 年 11 月 30 日 三版發行
中原中也「中原中也全集 第 2 巻」角川書店
1967 年 11 月 20 日 印刷發行
入力
イソムラ
2004-03-31T16:50:45+09:00 公開
2010-02-19T12:05:00+09:00 追加・修正
概要
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