未刊詩篇

中原中也

〔一九二三年-一九二八年〕

或る心の一季節

――散文詩

最早、あらゆるものが目を覺ました、黎明は來た。私の心の中に住む幾多のフェアリー達は、朝露の傍では草の葉つぱすがすがしい線を描いた。 / 私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故ナニユヱに夢であつたかはまだ知らない。其処に安坐した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懷しみを以て心より胸にと汲み出だす。だが次の瞬間に、私の心ははや、懷しみを棄てゝ慈しみに變つてゐる。これは如何したことだ?………けれども、私の心に今は殘像に過ぎない、大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔、整頓を知らぬ口角、樺色の勝負部屋………それ等の上にも、幸あれ!幸あれ! / 併し此の願は、卑屈な生活の中では、「あゝ昇天は私に涙である」といふ、計らない、素氣なき呟となつて出て來るのみだ。それは何故か?

私の過去の環境が、私に強請した誤れる持物は、釋放されべきアルコールのアシタの海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に來ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸は今や美はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる。……… / 私はそれが苦しい。――「私は過去の夢を訝しげな眼で見返る………何故ナニユヱに夢であつたかはまだ知らない。其処に安坐した大饒舌で漸く癒る程暑苦しい口腔を、又整頓を知らぬ口角を、樺色の勝負部屋を、私は懷しみを以て心より胸にと汲み出す」――さればこそ私は恥辱を忘れることによつての自由を求めた。 / 友よ、それを徒らな天眞爛漫と見過るな。 / だが、その自由の不快を、私は私の唯一つの仕事である散歩を、終日した後、やがてのこと己が机に前に歸つて來、夜の一點を圍ふ生暖き部屋に、投げ出された自分の手足を見懸ける時に、沁々知る。掛け置いた私の置時計の一秒々々の音に、茫然耳をしながら私は私の過去の要求の買ひ集めた書物の重なりに目を呉れる、又私の燈に向つて瞼を見据ゑる。 / 間もなく、疲勞が輕く意識され始めるや、私は今日一日の巫戲けた自分の行蹟の數々が、赤面と後悔を伴つて私の心に蘇るのを感ずる。――まあ其處にある俺は、哄笑と落澹との取留なき混交の放射體ではなかつたか!――だが併し、私のした私らしくない事も如何にか私の意圖したことになつてるのは不思議だ………「私の過去の環境が、私に強請した誤れる持物は、釋放されべきアルコールの朝の海を昨日得てゐる。だが、それを得たる者の胸に訪れる筈の天使はまだ私の黄色の糜爛の病床に來ては呉れない。――(私は風車の上の空を見上げる)――私の唸は今や美はしく強き血漿であるに、その最も親はしき友にも了解されずにゐる」………さうだ、焦點の明確でないこと以外に、私は私に缺點を見出すことはもう出來ない。

私は友を訪れることを避けた。そして砂埃の立ち上がり巻き返る廣場のフチすぐつて歩いた。 / 今日もそれをした。そして今もう夜中が來てゐる。終列車を當に停車場の待合室にチヨコンと坐つてゐる自分自身である。此所から二里近く離れた私の住居である一室は、夜空の下に細い赤い口をして待つてゐるやうに思へる。―――

私は夜、眠いリノリュームの、停車場の待合室では、沸き返る一抱の蒸氣釜を要求した。

目次

未刊詩篇

  1. 〔一九二〇年-一九二三年〕
  2. 〔一九二三年-一九二八年〕
  3. 〔一九二八年-一九二九年〕
  4. 〔一九三〇年-一九三二年〕
  5. 〔一九三三年-一九三四年〕
  6. 〔一九三五年-一九三七年〕

〔一九二三年-一九二八年〕

  1. タバコとマントの戀
  2. ダダ音樂の歌詞
  3. 春の日の怒
  4. 戀の後悔
  5. 不可入性
  6. (戀の世界で人間は)
  7. (天才が一度戀をすると)
  8. (風船玉の衝突)
  9. (何故親の消息がないんだ)
  10. 自 滅
  11. (あなたが生れたその日に)
  12. 倦怠に握られた男
  13. 倦怠者の持つ意志
  14. 初 戀
  15. 想像力の悲歌
  16. 古代土器の印象
  17. 初 夏
  18. 情 慾
  19. 迷つてゐます
  20. 幼き戀の囘顧
  21. (題を附けるのが無理です)
  22. (何と物酷いのです)
  23. (テンピにかけて)
  24. (假定はないぞよ)
  25. (酒は誰でも醉はす)
  26. (名詞の扱ひに)
  27. (酒)
  28. (最も純粹に意地惡い奴)
  29. (バルザック)
  30. (ダツク ドツク ダクン)
  31. (古る摺れた)
  32. 一 度
  33. (ツツケンドンに)
  34. (女)
  35. (頁 頁 頁)
  36. (ダダイストが大砲だのに)
  37. (概念が明白となれば)
  38. (成 程)
  39. (過程に興味が存するばかりです)
  40. (58號の電車で女郎買に行つた男が)
  41. (汽車が聞える)
  42. (不隨意筋のケンワク)
  43. 呪 咀
  44. 眞夏晝思索
  45. (人々は空を仰いだ)
  46. 冬と孤獨と
  47. 或る心の一季節
  48. 秋の愁嘆
  49. 無 題(緋の色に心はなごみ)
  50. 秋の日
  51. (かつては私も)
  52. (秋の日を歩み疲れて)
  53. 無 題(あゝ雲はさかしらに笑ひ)
  54. 涙 語
  55. 浮浪歌
  56. 春と戀人
  57. 夏の夜
  58. かの女
  59. 少年時
  60. 夜寒の都會
  61. 地極の天使
  62. 春の雨
  63. 屠殺所
  64. 無 題(疲れた魂と心の上に)
  65. 處女詩集序
  66. 詩人の嘆き
  67. 聖淨白眼
  68. 秋の夜
  69. 冬の日
  70. 幼なかりし日
  71. 間奏曲

このファイルについて

底本
中原中也「中原中也全集 第 1 巻」角川書店
1967 年 10 月 20 日 初版發行
1967 年 11 月 30 日 三版發行
中原中也「中原中也全集 第 2 巻」角川書店
1967 年 11 月 20 日 印刷發行
入力
イソムラ
2004-03-31T16:50:45+09:00 公開
2010-02-19T12:05:00+09:00 追加・修正
概要
底本を元に HTML 形式への変換を行っています。XHTML 1.1 と CSS 2 を使用しています。
ひらがな・カタカナなど基本的に底本のまま入力していますが(末黑野、未刊詩篇のカタカナ繰り返し記号 (*) を除く)、漢字はMS Pゴシック(MS PGothic)及びMS P明朝(MS PMincho)に含まれていないものはいわゆる新字に変換しています。

http://www.junkwork.net/txt