亡き兒文也の靈に捧ぐ
中原中也
僕にはもはや何もないのだ / 僕は空手空拳だ / おまけにそれを嘆きもしない / 僕はいよいよの無一物だ
それにしても今日は好いお天氣で / さつきから澤山の飛行機が飛んでゐる / ――歐羅巴は戰爭を起すのか起さないのか / 誰がそんなこと分るものか
今日はほんとに好いお天氣で / 空の靑も涙にうるんでゐる / ポプラがヒラヒラヒラヒラしてゐて / 子供等は先刻昇天した
もはや地上には日向ぼつこをしてゐる / 月給取の妻君とデーデー屋さん以外にゐない / デーデー屋さんの叩く鼓の音が / 明るい廢墟を唯獨りで讚美して廻つてゐる
あゝ、誰か來て僕を助けて呉れ
/
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
/
けふびは雀も啼いてはをらぬ
/
地上に落ちた物影でさへ、はや餘りに
――さるにても田舍のお孃さんは何處に
僕は何を云つてゐるのか / 如何なる錯亂に掠められてゐるのか / 蝶々はどつちへととんでいつたか / 今は春でなくて、秋であつたか
ではあゝ、濃いシロップでも飮まう / 冷たくして、太いストローで飮まう / とろとろと、脇見もしないで飮まう / 何にも、何にも、求めまい!……
http://www.junkwork.net/txt