未刊詩篇

中原中也

〔一九二八年-一九二九年〕

冷酷の歌

1

ああ、神よ、罪とは冷酷のことでございました。 / 泣きわめいてゐる心のそばで、 / 買物を夢みてゐるあの裕福な賣笑婦達は、 / 罪でございます、罪以外の何者でもございません。

そしてそれが恰度私に似てをります、 / 貪婪の限りに夢をみながら / 一番分りのいい俗な瀟洒の中を泳ぎながら、 / 今にも天に昇りさうな、枠のやうな胸で思ひあがつてをります。

伸びたいだけ伸んで、擴がりたいだけ擴がつて、 / 恰度紫の朝顏の花かなんぞのやうに、 / 朝は露に沾ひ、朝日のもとにゑみをひろげ、

夕は泣くのでございます、獸のやうに。 / 獸のやうに嗜慾のうごめくまゝにうごいて、 / その末は泣くのでございます、肉の痛みをだけ感じながら。

2

絶えざる苛責といふものが、それが / どんなに辛いものかが分るか?

おまへの愚かな精力が盡きるまで、 / 恐らくそれはおまへに分りはしない。

けれどもいづれおまへにも分る時は來るわけなのだが、 / その時に辛からうよ、おまへ、辛からうよ、

絶えざる苛責といふものが、それが / どんなに辛いか、もう既に辛い私を

おまへ、見るがいい、よく見るがいい、 / ろくろく笑へもしない私を見るがいい!

3

人には自分を紛らはす力があるので、 / 人はまづみんな幸福さうに見えるのだが、

人には早晩紛らはせない悲しみがくるのだ。 / 悲しみが自分で、自分が悲しみの時がくるのだ。

長い懶い、それかといつて自滅することも出來ない、 / さういふ慘しい時が來るのだ。

悲しみは執ツ固くてなほも悲しみ盡さうとするから、 / 悲しみに入つたら最後む時がない!

理由がどうであれ、人がなんと謂へ、 / 悲しみが自分であり、自分が悲しみとなつた時、

人は思ひだすだらう、その白けた面の上に / 涙と微笑を浮べながら、聖人たちの古い言葉を。

そして今猶走り廻る若者達を見る時に、 / 忌はしくも忌はしい氣持に浸ることだらう、

嗚呼!その時に、人よ苦しいよ、絶えいるばかり、 / 人よ、苦しいよ、絶えいるばかり……

4

夕暮が來て、空氣が冷える、 / 物音が微妙にいりまじつて、しかもその一つ一つが聞える。 / お茶を注ぐ、煙草を吹かす、藥鑵が物憂い唸りをあげる。 / 床や壁や柱が目に入る、そしてそれだけだ、それだけだ。

神樣、これが私の只今でございます。 / 薔薇と金毛とは、もはや煙のやうに空にゆきました。 / いいえ、もはやそれのあつたことさへが信じきれないで、 / 私は疑ひぶかくなりました。

萎れた葱か韮のやうに、ああ神樣、 / 私は疑ひのために死ぬるでございませう。

目次

未刊詩篇

  1. 〔一九二〇年-一九二三年〕
  2. 〔一九二三年-一九二八年〕
  3. 〔一九二八年-一九二九年〕
  4. 〔一九三〇年-一九三二年〕
  5. 〔一九三三年-一九三四年〕
  6. 〔一九三五年-一九三七年〕

〔一九二八年-一九二九年〕

  1. 女よ
  2. 幼年囚の歌
  3. 寒い夜の自我像(2・3)
  4. 冷酷の歌
  5. 雪が降つてゐる……
  6. 身過ぎ
  7. 倦怠(倦怠の谷間に落つる)
  8. 夏は靑い空に……
  9. 夏の海
  10. 頌 歌
  11. 追 懷
  12. 浮 浪
  13. 暗い天候(二・三)
  14. 嘘つきに
  15. 我が祈り

このファイルについて

底本
中原中也「中原中也全集 第 1 巻」角川書店
1967 年 10 月 20 日 初版發行
1967 年 11 月 30 日 三版發行
中原中也「中原中也全集 第 2 巻」角川書店
1967 年 11 月 20 日 印刷發行
入力
イソムラ
2004-03-31T16:50:45+09:00 公開
2010-02-19T12:05:00+09:00 追加・修正
概要
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