monologue : Same Old Story.

Same Old Story

愛のかたち

「目が覚めたかい」

女が薄らと目を開ける。それを見て男は、嬉々とした表情で、しかしそれを悟られぬように努めて冷静に、低い声で話しかけた。

「まだもしかするとはっきりしないかも知れないな。どうしてここにいるのかもわからないだろうし、いつどこで何をしていたかも思い出せないかも知れない。それでも、僕のことはすぐにわかるだろう。よく知っている顔のはずだからね」
「……あなたは、いったい、ここは」
「まあちょっと落ち着いて、よく見渡してみたら」

言われるがままに女は、自分が置かれている状況を探ろうと、ゆっくりと辺りを見回した。薄暗い事務室のような、無機質で目に付くものの少ない部屋。いくつかの事務机と椅子と、ブラインドの下りた窓が見える。その向こうから西日が差してでもいるのか、赤みを帯びた光が少しだけ差し込んでいる。部屋には入り口がひとつ。色んなものが寂れていて、しばらく誰も入らなかった部屋のように見える。

「僕のことは、どうだい」

女は、この男のことをよく知っていた。だからこそこの状況を素早く把握する必要があった。この男と二人きりで、見覚えのない部屋にいるはずがないからだ。

「あとで見てもらえばわかると思うけど、ここは君の実家から車で三時間くらいのところにある、廃品置場だ。廃品って言ってもほとんどが廃車なんだけどね。その一角に建ってるプレハブ小屋。多分事務所だったんだろう。今も使われてるのかどうかは知らない。今だけ拝借してる」
「どうして、ここに私は」

身動きが取れないことに気が付く。事務用の椅子に座らされ、後手に縛られていることにも。

「もうちょっと待ちなよ」
「……」
「頭がぼんやりするだろう。騒がれたり怪我したりするのも嫌だから、一服盛らせてもらったよ。少し量が多かったかも知れない。まだ頭が働かないのはそのせいだろう。君が眠ってから、ここに運んできた。そこに座らせて手を縛って、それから二時間くらい、君の寝顔をじっくり見ていたよ」

女の背筋を嫌な汗が伝う。

「どうするつもり……」
「まあ、まあ。もう少し話をさせて」

男がライターを取り出し、ゆっくり煙草に火をつける。

「僕は行けなかったけど、半年前の結婚式は素晴らしかったね。君の友達に様子を聞かせてもらったよ。なんていったかな、あの子。君の学生時代の同級生で、長い髪の綺麗な……とにかくその子だ。君の一番の友達だと本人は言っていたよ。君がどう思っているかは知らないけどね」
「……」
「どうして僕がその子と付き合いがあるか気になる?……まあ君の思うのとそれほど違いないはずだ、僕が嘘つきなことはよく知ってるだろ。彼女が男にどう扱われたいか空想しながらやり取りしてたら、君のこと色々と教えてくれたよ」

縛られた手に力を込めるが、手を結んでいる何かは緩みそうにない。

「可愛い女の子が産まれたんだってね。一ヶ月くらい?」
「……あなたには関係ないことだわ」
「冷たいな。変わらないね」

煙草を床に投げ捨て、二三度踏み付ける。

「チャンスだと思ったよ、これは」
「……何よ」
「君の子供をもらうよ。君の寝顔を見ていて決心した」

聞いた途端、女は地面を蹴り上げ、男に飛び掛ろうとする。予測していたかのように男は、女の肩を押さえて、椅子ごと部屋の隅まで突き飛ばす。

「君の子供を、君の知らないところで育ててやろうと思うんだ。さらって死なせるなんてくだらないことはしないでさ、君の知らない場所で、可愛らしく育ててやる。気が向いたら何年かに一回くらい、君に写真を送りつけてやってもいいな。君には居場所も知らせないし、会わせることもないけどね」
「……それで復讐でもするつもり?」
「ナンセンスだと思うだろ。でもね、愛情表現だと思ったら、素敵なことに思えてきたんだ。君は僕の名前を一生忘れないし、ずっと僕がどこにいるか探すことになるだろう。これって初恋の女の子みたいだと思わない?」

男は薄ら笑いを浮かべ、外に向かう扉へ向かって歩き出した。

「さっき君の旦那に連絡しておいたから、もうあと二時間足らずでここに到着すると思う。そうしたら言うんだね。婚約期間中にあなたと二股をかけていた男に、あなたとの娘をさらわれました、なんて」
「……」
「病気しないようにね。君とはもう会えないけどさ。僕より長生きすればもしかしたら、再会のチャンスもあるかもよ」

扉を開ける男を罵るように、女が笑い飛ばす。

「馬鹿な男だこと。だから私に捨てられるのよ……あれはねえ、あなたの娘なのよ」
「……冗談きついね、こんなときにまで」
「冗談と思うならそれでもいいわよ。私と最後に関係があったのも、たった九ヶ月くらい前のことでしょう」
「……それが本当なら」

男が扉を閉め、女のもとへ歩み寄る。

「君は旦那のことを愛してない、って言うのかい」
「それとこれとは別でしょう。あの人への愛と、娘への愛と、それは別だわ」
「……君は本当に変わっていて」

面白い、とつぶやきながら女の頬をなで、そこへ口付けをしようと身をかがめた男に、再び女が飛び掛った。今度は椅子ごと体当たりして、転がりながら事務机の足元へどちらともなく体を打ち付ける。どちらかがどちらかを突き飛ばし、何度も転がるうちに、男が頭を壁に打ちつけ、その場に座り込む。女は、手を結んでいた紐がようやく緩んだのに気付き、それを携えて男のもとへ歩み寄る。男の首にかけ、全力でそれを引き締めながら、恐怖とも笑顔ともいえる表情を浮かべる。数分間握り締めた紐が、擦り切れた掌から汗で滑り落ちたとき、もう一度複雑な笑顔を浮かべて、女が言う。

「馬鹿な男だこと。そんなこと、あるわけないじゃない」

男はもう動かない。女は唾を吐きかけ、ゆっくりと部屋を出ていく。

Fin.

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