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おめでとうございます。こんなことで書き込みする資格があるのかとか多少悩んだのですが、たいした害もないだろうと思ったので、なにがどううまくいくのかよくわからかったのですが、今度こそうまくいきますように。
うまくいく、が何をさしているかわかりませんが、イソムラさんがたくましく世の中に生存しつづけますように。お誕生日だときいて、イソムラさんがこの世の中にいないよりも、いるほうが、はるかにいいと思いましたもので。
またお邪魔してしまいました。いまだに読んでいない作品たくさんありますし。まるで主人公はわたしのようだと思いました。つい元気づけるために、果たせもしないような約束を与えてしまうという。(それを実行する彼はえらい!)うそ、大げさ、まぎらわしい広告に気をつけて、これからもわたしの感想を読んでくださいませ。それで。よかったら、気が向いたら、ブログを見に来てください。http://blog.goo.ne.jp/chise_ss/
「読んだ」といわれるたび「どんな話だったか」と自分でも再読していたりします。手直ししたいと毎回毎回思っていますが、ひとまずそのままにしてあります。手間とかそういうことが煩わしいばかりではないですけども。最近あまりインターネットでは文章を読まない習慣になってしまいましたが、また折りを見て伺わせていただきます。
すてきなお話だと思いました。反戦のメッセージがそれほど全面に出ていないのもよかったです。恋人の思いやりにジミーのやさしさに。いろいろ書かれているんですね。やさしいお話、ブラックなお話。揺れ幅が大きくてとまどってしまうんですが、ぜんぶイソムラさんのお話なんですよね?
またずいぶんとご無沙汰してしまいました。ひとまずここに置かれているショートショートは全部僕が書いたものです。その時々の心情だとか、僕自身の状況でどんな話が出来上がるかは結構振れるものだと思います。両極端なのもここしばらくは収束しているような、気がしないでもないですが。
「えりねすぱ」と名乗っておりました。プロジェクトKでも報告したように、ホームページをたたんで、ブログを作品発表の場としました。掲示板を不法占拠してしまってごめんなさい。こんどから、節度あるおつきあいを心がけていきますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。長らく病んだ状態がつづいていましたが、ようやく復帰しつつあります。イソムラさんとは、足りないものを補いあえる関係になれるかなあと思うのですがいかがでしょう。勝手な思い込みですが。なにかさしだせるものがあればいいのですが。
すっかり自分ですら足遠くなってしまったサイトです。僕もまあ病んでるといえば病んでるし、そうでないといえばそうでないようなものなので、それなりに距離を置いて見るのが一番よいのではないかと思います。そんな感じでよろしくお願いします。
セフィロトにも危害が及ぶ、と書かれたのを覚えていますか。わたしは、あの言葉に誠意を感じました。理解者にはなれないと思いますが、それを許していただければ、つながっていたいと思うし、そうすれば、わたしにとっては、ちょっとだけいろいろなことがましに思えることでしょう。リアリティをこめないで書くのが安全なやり方だ、といったこともおっしゃっていましたっけ。それは、できませんでした。これからも書くとしたら、プライバシーを侵害しない範囲で、なにがしかの実感をこめたいと思っています、もし可能なら。いつでも、そしてこれからも、イソムラさんが起きて窓のそとをながめて、もし雪が降っていたら、それに気づけばいいような気がしています。身勝手な願いですが、世の親だって、そうやって身勝手に子を愛するものですよね?
僕にはあなたの感情を制限する権利はありませんし、そのようにしたいとも思いません。同じように、これから起こるかも知れないことをそうならないように仕向けることもできませんし、可能性があるからないからといって僕自身をどうにかしなければいけない、とも思わないのです。あなたが誰だという確証がない以上、不確かな感覚で答えられることはこれだけです。
結局のところ前に進むのが億劫、とでもいうのか。現状打破とは難しいもので。それでもみんな己やその周りのものと葛藤しているのでしょう。もちろん、私も、あなたも、そして数多の人たちが。
大概引っ込みがつかないということでよろしいでしょうか。
うん、そんなところでいいです。推し量ってください(苦笑)。
あしたは雪が降るそうですね。読ませていただきました。情景のあざやかさが印象的でした。死に近づいた、ひんやりとする感覚がよく出ていると思いました。雨ににじんだような夜も、抑えたような雰囲気で。わたしが死を思うときはもっと、熱をおびた狂気に埋もれた感じだったかも。きっと、それぞれですね。そんなつらい思いをしていないといいな、と思いながら。きっと、こういったやりとりが、なにがしかの通過点になればよいのだと、わたしは思っているような気がします。ほんとうの出会いへの、というかつぎの一歩への、というか…。では。
雪の間、眠っていたようです。曾祖母(もしかしたら違うかも知れません、何分幼い頃の記憶なので)の葬式のとき、こういうものは静かに、ゆっくり誰かの手で送り出されるものだ、と思った記憶があります。どうも、事故や何かでなければそれは、儀式的なものでもあるのではないかと思います。ときどき不平めいたことを言うのは多分、僕がそういったときに限って文章を書くタチだから、だと思います。日記の日付が抜けている部分は、まあまあそれなりにやっているのではないかな、と。
感想というか、ふとした疑問だったのですが。ネガティブな思いを抱えているとして、憎しみを向けられたことがあるのだとして、その憎しみは自分に対して、向けられたものだったのか。あるいは、近しい他人に対するものだったのか…。などと、イソムラさんの作品を読んでいるあいだ思っていた気がします。他人のことで誰かにつよい恨みを感じるというならば、それはネガティブなだけのものではないようにも思われるかなあ、と。しばしばじぶんの痛みと他人の痛みって混同するのでしょうか…。今回の話は、直接、恨みをもつ相手、ではなくて近しいひとを傷つけられた恨みなんだなあ、と読み返してやっと気づきました。ちっぽけなじぶんの痛みにしがみついている、わたしのような人間にはちょっと想像もつかないような気もしました。
他人の痛みを自分のもののように感じられることは、幸せなことも不幸せなこともあると思います。昔の偉い人が言うには、重荷というものは抱えられる人を選んでいるのだそうですけれども。まあ何事も経験によるといいますか、そういう人もいるでしょうね、くらいで読み流していただいてもいいんじゃないかなあと思います。
縁者、というのも、ふしぎな言葉ですね。一般的には、親類縁者を指すのだろうけれど。醜く若い、と描かれていましたが、整形かなにかするまでは、とってもきれいだったのかもしれませんね。
あ、「ひどく若い」です。漢字になってますね。修正しておきます。
ちょっと色々とテスト。
変わらずテスト。テスト。
どんなもんですかね。
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カフェの写真、すてきですね。ほんとにイソムラさんて、こういうおしゃれな感じが似合うのですね。わたしの友人が、別れる間際に、「救いを求めていた」と言っていたのを思い出しました。そのときは(今でもかなり)自分のことで手一杯だったのですが、自分なりにあれから、意味を考えてきました。ストーリーに何がしかの救いのある結末を与えたがるのは、きっと彼女の影響もあると思います。彼女とは、縁がなくなってしまったので、せめて、今、近くにいるひとにお返ししたい気持ちでいます。ふつうの人にできないことが、できるのならば、(小説を書くことだってそうですよね?)逆に、あたりまえのことに困難を感じるのは仕方のないことですよ。などと、このごろは自分に言い聞かせているのですが。(そういうこととは、少しちがうのでしょうか)お釈迦さまもケチですね。一本と言わず、糸を垂らせばいいのに。
うちの近辺にああいったカフェが多い感じです。地域。僕にとっては多分、何か物語めいたものを書くことは救いにはならないのではないかと思っています。ちょっと前の日記だったかに「何かを書くことで自分を癒せないか」と書いた気がしますが、それはつまりそれが難しいから、ということなんですけども。書くことは、何でしょうね、何か業とかそんなもののような気もします。安全装置というか。何かこう、平穏にアウトプットすることができるのは「これは作り話なんです」と前置いてからでないといけないように思います。もし何か大切なものと引き換えに書くことをどこかで僕が選んでいたとしたら、当時の自分を叱ってやりたいくらいの気分です。全力で。大概の他人はケチなもんです。