monologue : Other Stories.

Other Stories

寒空のホーム

時間はもう、午後八時をまわるだろうか。真冬の寒空は、張り詰めるような冷たさと静けさ、夏のそれより何倍も何倍も濃くて深い闇に覆われている。冬だ、冬だ。心の中まで真っ白に冷え切ってしまいそうな、冬だ。私は、コートのポケットの中に入れっぱなしだった両手を持ち出して、すり合わせて少しでも暖を取ろうとする。

「わかってたのよね、ゲームオーバー」

ぼそりとつぶやく。駅のホームには誰も見当たらない。電車はもう、一時間に四本しか来ない。こんな田舎の片隅の駅のホーム、でも、寒空は平等に広がっている。私は、手をすり合わせる。

「そうよ、来ないって、わかってたんだから」

約束の時間はもう随分と過ぎている。三十分、いや、もしかしたら一時間。このままだと、もう少し後には二時間。三時間。なんてことはない、簡単な話だ。彼が来なければ私は待ちぼうけ、約束の時間はどんどん昔のものになっていく。

(約束? 約束なんて。一方的に告げただけじゃない)

心の中でつぶやく声を拾ったかのような、返事がどこからか投げかけられる。暗い夜の少し向こうの方から。

「お姉さん、一人?」
「……一人ですけど、何か?」

咄嗟に身構えるが、声の主は、危害なんてものとは無縁な存在のように語りかけてきた。無防備な声が、情けない言葉を投げかける。

「そう。僕も一人なんだ」

よくよく目をこらすと、向かいのホーム、反対側の車線のホームのベンチに、一人の男が身動きひとつせずにこちらを見ている。一瞬ぎょっとしたけれど、彼はどうやら私がいるよりずっと先からそこにいるようだった。足元に、何本も煙草の吸殻が見える。

「そう、一人なの」
「君も、約束反故にされたくち?」
「反故って、まあ、そんなものだけど」
「奇遇だね、僕もついさっき」
「さっきってどれくらい?」
「二時間、と、三十分」

腕時計を見る男。初めて動きを見せる。時計に目を落とす横顔は、どうやら二十代なかばかそれくらいのようだ。若い、誠実そうで生真面目な表情。

「そんなに長い間、どうしてそこにいるのよ」
「君と同じだよ。君だってそれくらいだろ」
「私は」

一瞬言葉に詰まる。

「私は、二時間も待ってません」
「ああ、そう」
「煙草吸い尽くすまで無駄に希望持ったりしないわ」
「へえ」
「これから、帰るところだったのよ」
「ああ……でも、君も振られたんだろ?」

歯に衣着せぬ物言いに、不快な表情を隠さずに臨む。何か憎まれ口のひとつでも叩いてやろうとするが、言葉は出なかった。ただ代わりに、少し目が潤んでしまっただけだった。

「ごめん、別にそんな」

向こうのホームからも、私の情けない表情は見えるのだろうか。私は彼に背を向け、駅の出口へ向かった。

「ごめんなさいね、今は誰かと話すなんて」
「そうか。僕も同じこと考えてた」
「さようなら」

階段を二・三段下りて、振り返る。

「ドラマだったら、私たち、劇的な出会いだったのにね」
「……ああ、そうかもね」
「でも、残念だわ」

ため息をつく私の顔は、彼から見えていただろうか?

「同じホームにいたら、きっともう少し仲良くなれたのに」

彼の言葉を待たずに階段を下りる。寒空から私を覆い隠す駅構内の天井、緩やかなアーチ。吐いた息は少しだけ白くて、小さな頃に聞かされた「口から魂が出てしまう話」を、ふと思い出した。明日は、雪が降るだろう。

Fin.

Information

Copyright © 2001-2014 Isomura, All rights reserved.