monologue : Other Stories.

Other Stories

キレイ

週末で部屋を引き払うことになった。どんなことにも取り掛かるのが遅いくせに、決めるべきことは早く決まらないとすっきりしないタチの私は、退去期日だけさっさと決めてしまってあとは何も準備していない、とても間抜けで、割と危機的状況に置かれている。引っ越す雰囲気の全くない生活感あふれたこの部屋を、せめてあと三日以内に全部段ボールに詰めてしまわなければならない。

「これ、骨が折れるって言うんだわ」

生まれて初めて使う言葉がしっくりくる状況に少しだけ感動しながら、映画を見るときにポップコーンに伸ばす手と同じくらいの、のろのろとした動作で荷造りを始めた。

けれどその緩慢な動作も長続きはしなくて、この部屋に引っ越してきたときに定位置が決まらずにしまわれっぱなしだった古い小物のおかげで、小一時間、私は床に寝そべって思い出を眺めることになった。予想していなかったこともないけれど、そんな風に、動いては思い出を見つけて、再度決心しては別のものに時間を費やして、荷造りはほとんど進行することはなかった。荷物の十分の一もまとまらず、三日という自分で決めた期限の三分の一を、ほとんど活用できずに終わらせてしまった。

二日目は、近くに住む妹が応援に駆け付けた。

「お姉ちゃん、昔から整理とかだめだよね」
「しょうがないじゃない、小さい頃から物片付けるのが好きだったあんたが、私の遊んだ後のおもちゃなんかも皆片付けちゃったんでしょ。今さらやれって言われたって、できるはずがないじゃない」
「何言ってんの、いいトシして」
「あ、そういう言い方するわけ?」

食って掛かる私を気にすることなく、妹は荷物をまとめ始めた。彼女は、私にないものを大抵持っている。整理整頓もそうだし、くだらない言い合いを適当なところで切り上げるだとか、あとは、いい男を見つけるだとか。彼女は彼女で、私に対して何か思うところもあるようだけれど。

「これは捨てていいの?」
「えっ、あー、それは……どうしよう」
「じゃ保留ね。明日までに決めといて。こっちは?」
「ん、それは、使わないけど」
「捨てていい?」
「でもやっぱり」
「じゃこれも保留。でも、どうしても残しときたいんじゃないなら明日捨てるからね」
「うん……」

必要なものとそうでないものを見極めて、ついでに見切りもつけてしまうことが一番手っ取り早いと、私に説教めかして言ったことがある。今でもたまにそうだけれど。私は私で、「そんなことはわかってる」なんて強気に答えもするけれど、わかっていても見切りがつけられないということはわかっていないんだ、なんてやり返されて黙り込む。強くなりたいって思うだけで強くなれたら苦労しない、と聞こえないようにつぶやく私は、しばらく強くはなれないだろう。

妹を起用したことは大いに功を奏して、荷造りは八割以上終わってしまった。あとはいくらのろまな私でも、丸一日かければまとめられないことはないだろう。と、妹にも太鼓判を押された。

「じゃ、私今日はもう帰るから」
「明日も来るの?」
「午後にね。念のため、様子の観察に」
「はいはい」

彼女は去り際も手際良く、あっという間にいなくなった。

「さて」

見送りから戻り、段ボールの山積みになった部屋で一息つく。

「だいぶキレイになっちゃった」

積み上げられた段ボールに生活感も思い出も梱包されて、あとにはただがらんとした空間が広がっていくような、そんな感覚を覚えた。

「もうすぐ、私、いなくなっちゃうよ」

壁、床、窓、誰もいないところへ呼びかける。天井。ドア。

「私、新しい生活に移っちゃうから」

妹と違って私は荷物を整理するのが苦手で、それと関係があるのかどうかは知らないけれど、人間関係を整理するのも苦手だった。トラブルに巻き込まれると収集がつかないなんてことはざらだったし、引かれ合うのか、自分と同じように整理の下手な男にばかり引っかかっていた。整理が苦手同士付き合い始めてしまえばそれはもう悲劇的としか言いようがなくて、一度でもすれ違うようなことがあれば、別の言葉を話す違う国の人間以上に分かり合えないまま、全てが終わってしまうことさえあった。

「ねえ」

いろんなものが片付いてしまった。片付けてしまった。

「こんなに簡単なことなのに、どうしてつまずくんだろうね」

難しいことではないのだ。少しだけ距離を置いて、それが本当に必要なものかどうか、新居に運ぶコストに見合うだけの価値があるのかどうか、それを見定めるだけの話なのだから。必要か、必要じゃないか。それを判断するだけなのに、どうしてこんなにもうまくいかないのだろう。

意地を張るだとか、小さなことにこだわるだとか、くだらないことで熱くなるだとか。自分と相手の関係の中でそれが必要なことかどうか、少し距離を置いて見定めるだけのことなのに、どうしてうまくいかないのだろう。

「わかってるんだけどね」

思うだけで、強くはなれない。

「……あ、お客さん」

空洞化の進む部屋のドアをノックしたのは、私と同じくらい、整理や冷静な判断や距離の置き方の下手な、よく知った顔の男だった。

「久しぶり」
「……久しぶり」
「引っ越し、手伝おうと思って。ゼミの人たちに聞いたから」
「そうなんだ、でも、ごめん、ほとんど終わっちゃった」

ドアから少し部屋の内側へ身を乗り出して、彼がため息のような呼吸をするのが聞こえた、気がした。間が悪いな、俺、とつぶやく彼に、いつもそうだよ、と私は言わないことにした。

「良かったら紅茶でも飲んで行く? まだ、カップは梱包してないけど」

余計なものを片付けられたからか、そうする妹の姿を見ていたからか、私は、少しだけ丁寧に彼と距離を置けるようになる気がした。彼の返事を待たずに戸棚からカップをふたつ取り出し、コンロの隣に並べる。

「……じゃ、せっかくだし一杯だけ」

彼が靴を脱いで、数週間ぶりに部屋へ上がる。多分この部屋にとって、これが彼の最後の訪問になるだろうけれど、私はもしかしたらもう一度、もしかしたらもっとたくさん、こうして彼を迎える機会を得られるのかも知れないと、ふとそんな気分になった。それと合わせてやかんをもう片付けてしまったことが頭をよぎって、いつもの私の、少しへたくそな笑顔を作ってみせるのだった。

Fin.

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