monologue : Other Stories.

Other Stories

いつかのこと : 3/3

「お帰り」

何となく気まずいやり取りから二日間、僕は彼女にメールも電話もしなかった。彼女からも何もなかったから、この二日間、完璧に絶縁状態だった。意味もなく連絡し合うような関係ではないし、お互いにそういう性格でもないから、別にそのこと自体は珍しくないのだけれど。

「……珍しいね」

気まずくなったり喧嘩のようなことをした後には、必ずその日のうちにどちらかが謝る習慣ができていた。だからこの二日間は少し今までとは違った感覚で、僕はとても久しぶりに彼女に会ったような気分になった。

夕方、バイトから帰ると、彼女が僕の部屋の前に立っていた。

「ずっとここにいたの?」
「うん、って言っても、三十分くらいだけど」
「連絡くれたら迎えに行ったのに」
「いいの、近くまで来てちょっと思いついただけだから」

ドアノブに鍵を差し込みながら彼女と会話を交わす。いつも通りの、何も違和感のないその会話が、余計異質なもののように思えた。

「まあ、どうぞ」

扉を開けて彼女に言う。自分が先に部屋に入り、電気を付けて振り向くと、彼女は部屋には上がらず外に立ったままでいた。

「……どうかした?」

いつもは憎まれ口のひとつも叩きながら上がりこむ彼女が、よそよそしい他人の表情で、玄関の向こうから僕を見つめていた。

「私ね、結婚するんだ」

申し訳なさそうにそれだけつぶやくと、彼女の視線は何かを探すように泳いだ。僕はどう声をかければいいのかわからずに、しばらく彼女を見つめたまま立ち尽くした。

やがて彼女の視線が僕へと戻ったときに、多分反射的に、僕の口から言葉が出た。

「そっか。おめでと」

自分が言いたいことを率直に吐き出せたら、どんなにか楽だろう? 僕が思うのは二日前のメールと同じことだった。

「……うん。ごめんね」

彼女は突然口元を押さえて泣き出し、その場にかがみこんだ。

「何言ってんだよ」
「ごめんね。本当、ごめん」

謝らなければいけないことは何もなかったはずだし、結婚するために関係を清算するのは当然のことなんだろう。若い頃に遊びたくなるのは誰だって同じことだし、そのことに文句を言う筋合いは僕にはない。

わかっては、いるのだけれど。

「泣くことないだろ」

彼女の肩に手を置きながら、自分が涙目になっていることにも気付いた。彼女に見られないように慌てて拭って、もう一度同じ台詞を言う。

「泣くことない。おめでたいことなんだから」

その日、彼女は部屋に上がらずに帰った。というよりも、僕がそうさせたのだけれど。

次の日、彼女から長いメールが届いた。

今までありがとう。無理ばっかり言って困らせたと思うけど、一緒にいられて楽しかった。

最後に泊まった日、彼のお母さんに会いに行く約束があって、だから慌ててたんだけど……本当はあなたに相談したかったんだけど、祝福してくれても(多分あなたはそうしたよね)反対されても、自分が辛い気持ちになるような気がして、だから何も言えなくて。
本当に身勝手な女でごめんなさい。あなたを利用するだけ利用して、自分のために関係を終わらせたいだなんて、本当にごめんなさい。あなたにとって私は疫病神みたいなものでしかないかも知れないけど、私にとってあなたは本当に大切な人で、一緒にいられて幸せだったと思います。

なんだかめちゃくちゃなメールになっちゃったけど、ごめんね。ありがとう。

返信はせず、そのまま携帯電話を閉じた。

「お幸せに」

小さくつぶやく。自分の気持ちを彼女に完全に伝えきるには、僕はまだきっと若すぎるのだろう。だから返信のための言葉が頭に浮かばなくて、悲しいとは思っていないはずなのに涙になって溢れたり、わかりきったことを恨めしく思うのだろう。

「お幸せに」

もう一度つぶやいて、並べられた DVD に目をやる。

「……とりあえず、こっちも清算するか」

借りてあった DVD を全部抱えて、車のキーを指で引っかけ、靴に足を突っ込む。助手席に荷物を放り込んで、エンジンをかける。

「次に誰かが座るのは、いつだろうな」

運転席に座り、彼女が座ることのなくなった助手席のシートを眺めながらつぶやく。ふいに、誰かの言葉が頭をよぎる。

『僕らの誰もがそうやって、大人になっていくんだろう』

アクセルを踏み込み、車を発進させる。不思議と、気分は悪くなかった。

Fin.

Information

Copyright © 2001-2014 Isomura, All rights reserved.