monologue : Other Stories.

Other Stories

夢の世界で

「ねえ、何か鳴ってない? 警報?」
「何か聞こえるな。何だろう? 初めて聞く信号だ」

数人がつぶやくように言い、ロビーに居合わせた十数人は、聞いたこともないその音が何なのか考えをめぐらせ始めた。

「東の方から聞こえるみたいだな。あっちの方角って何があったっけ?」
「NPC がいるだけじゃなかったかしら。PC がいるのは見たことないわ」

NPC というのは Non-Player Character、つまりプログラムが配置した擬似人格のことだ。PC は Player Character、このゲームのプレイヤーが操作する人物。僕らは今、ネットワークゲームの世界にいる。しかも、特別の。

「何だろう? 何かのイベントだろうか?」
「でも告知くらいはしそうなものだけど」
「トラブルと考える方が自然かな? 面倒だなあ」

まるで本当に彼らがそこにいるかのように、他愛のない会話が続く。動きも話し方も何から何まで本当にリアルで、ここが現実の世界なんじゃないかと錯覚することもある。

特別、というのは、この世界が最新の技術で構築されているからだ。といってもそれは、新型のプログラムやシステムということではない。使用する端末が既存のものとは全く違うのだ。

僕らは、僕ら自身の夢 ― つまり、自分の脳をネットワークにつないでいる。

「通信障害にでもつながったらどうする?ずっと夢から出られない、なんてことになったりして」

一人のプレイヤーが冗談めかして言ったが、ロビーにいる他のプレイヤーたちは愛想笑いすらしなかった。

仕組みはそんなに難しいものじゃない。眠る前に "ゲート" と呼ばれる装置を頭に取り付ける。この装置が僕らの脳をネットワークとつなぎ、電気信号の送受信をして、脳に様々な仮想現実を疑似体験させる指令を出す。視覚や、嗅覚や触覚、聴覚なんかだ。

"ドリームネット" と呼ばれるこの新しいサービスは爆発的なヒットとなり、老若男女を問わず広く家庭に普及した。夢を見るだけで参加できるのだから、コンピュータの扱えない世代でも問題なし、というわけだ。

「まだ聞こえるね」

警報のような音は相変わらず鳴り響いている。ロビーにいるプレイヤーは段々不安の色を隠せなくなり、それぞれが思い思いの行動に出るようになった。あるプレイヤーは鞄から小説を取り出し、またあるプレイヤーはどこからかおやつを持ってきた。

彼らの行動は実際に僕の目の前で行われているようにしか見えない。いくらコンピュータの表現力が向上しようと、夢に見るリアルさには勝てるわけがないのだ。僕の脳は、それがそこにある、と認識しているのだから。

「サポートセンターは何をしてるんだろう」
「さあ、気にしなくてもいいんじゃないかな。何も起こらない」
「警報だったら不安だわ。誰か、見てきてくれない?」

することのない数人がロビーの隅に固まって、警報について論議を交わしている。僕はスケッチブックを取り出して絵を描き始めたが、どうにも警報が気になって仕方がなかった。結局集中できず、すぐスケッチブックをしまった。

「全く夢だってのに、煩わしさは現実とそう変わらな」

誰かがそうつぶやいたその瞬間、突然地面が大きく揺れた。地震だ、と叫ぶ。

「ちょっ……大きいぞ!」

何人かはロビーの床に倒れ、尻もちをつく。やがて揺れは小さくなっていったが、完全に収まりはしなかった。

「おい、あれを見ろ!」

誰かが東の方角を指差して叫ぶ。

「……何あれ」

誰かの驚きに満ちた声が聞こえる。東の空は真っ黒に染まっていた。いや、空だけじゃない。地面や建物も崩れ落ちるように黒い部分に取り込まれていった。まるで大きな怪物が、全てを飲み込んでいるようだった。そしてそれは、少しずつこちらに近付いてきているようだった。

「こりゃ逃げた方がよさそうだな」

つぶやきに合わせて数人が同意を示す。腕時計型の端末を操作して、メニューからゲームの終了を選択する。

「……おい、どうなってる?」
「ログアウトできないぞ」
「壊れたのか? くそっ、動け、くそっ」

端末を叩いたり、腕から外してひっくり返してみたり、他のメニューが動作しているかどうか確認してみたり。ロビーにいる全員が他の誰に目もくれず、自分の端末と格闘していた。僕も、例外でなく。

そのとき、誰かが叫んだ。

「ちょっと、何あれ!」

何事かと顔を上げると、すぐ目の前まで黒いものが迫ってきていた。建物を飲み込み、空を黒く染めて、地面を崩しながら。

「くるな、くるなっ!」
「いや、こっちこないでぇっ!」
「どうなってるんだ、おい、管理者、誰か応答しろよ!」
「逃げるんだ、飲み込まれるぞ!」

何が何だかわからないままパニック状態になり、プレイヤーたちが皆、外へ逃げ出そうとしたそのとき、ロビーの床が崩れて大きく傾いた。尻もちをつきながらもどうにかしがみついて、何が起こったのか辺りを見回すと、床の傾いた方へどんどんプレイヤーたちが吸い込まれていった。黒の中へ吸い込まれたプレイヤーの声は聞こえなくなった。

「喰われる!」

誰かが叫んだ。確かにそれは、大きな怪物が口を開けているようにも見えた。

「なんで、こんなっ……!」
「うわあああぁっ!」

どんどん飲み込まれていくプレイヤーたち。床はますます傾き、怪物はさっきよりも大きく口を開けていた。僕はなんとか床にしがみついていたが、手にはもう力が入らず、ほんの一瞬、頬をつたう汗に気を取られた一瞬に、僕は床の上を滑り出していた。怪物の口へと向かって。

「……うわああぁぁぁああ!」

全てが黒に飲み込まれたその瞬間、僕はベッドから跳ね起きた。

「うわあっ!……? 起きれた、のか?」

額の汗を手で拭う。夢のリアルさとは少し違った、本当の、現実の汗のようだった。

「やった! ぎりぎりでログアウトできたんだ!」

今にも飛び跳ねそうなくらいに浮かれる僕の寝室へ、母が眠そうな目の、いかにも不機嫌な表情でやってきた。

「うるさいわねこんな朝から、今何時だと思ってるの?」
「ごめん、サーバーかプログラムに異常があったみたいで、もう本当に死ぬかと思ったよ」
「サーバー? プログラム?」
「ドリームネットだよ。昨晩セットして寝たんだ」
「……何言ってるの? 受験ノイローゼ、ってわけでもなさそうだけど」
「何言ってるの、って母さん、これのことだよ」

僕は自分の頭から "ゲート" を取り外し、手に持って母に見せ……ようとしたが、僕の頭には何の装置も取り付けられていなかった。

「あれ? おかしいな、確かにセットして寝たのに」
「まだ五時よ、もう一眠りしときなさい」

あくびをしながら母は自分の寝室に戻った。僕は自分の部屋を見回した。確かに、これは僕の現実だ。ただひとつ、僕が認識していたものと違うのは、ドリームネットの端末がきれいさっぱり消えてなくなっていたことだった。

「おかしいな……」

つぶやく僕の目に、目標大学名の書かれた受験用カレンダーが映った。

Fin.

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