monologue : Other Stories.

Other Stories

誓いの味

「それでは、誓いの口づけを」
「……つっ!」

僕が驚いて彼女から一歩離れたときには、式場全体がそのことに気付いていたようだった。ぱたぱたと音をたてて、僕の白いタキシードに赤く丸い染みができていた。彼女が口づけのときに、僕の舌を少し噛み切ったのだ。

「痛い思いをさせてごめんなさい」
「何を考えてるんだ、いったい」
「これは、私の一族のしきたりなの」

彼女の親族に目をやると、僕の親族に比べて誰もが落ち着き払っていたように見えた。それどころか、口元にかすかに笑みを浮かべて、僕のタキシードの血痕を見ている人さえいた。

「もう何百年も続いてるのよ。血の誓いというの」

そう言って無邪気に笑う彼女には、悪意はひとかけらも感じられなかった。

「もう三年も前のことだ」

三年前の彼女との結婚式は、少なくとも僕にとっては大きなカルチャーショックだった。華やかな西洋式の結婚式が主流になっても、その中へ巧みにしきたりを取り入れている一族。彼女の親族に持った印象はそんなものだった。

「三年も前だ。いろんなことがあるさ」

僕は、彼女の墓前で小さくつぶやいた。

彼女は、結婚式を挙げてわずか半年で亡くなってしまった。もともと不治の病を患っていたとかで、医者にも数年の命だろうと宣告されていたらしい。

「教えなかった君を恨んではいないよ」

僕は、彼女の病気のことを知らされていなかった。僕が彼女にプロポーズしたとき、それを受け入れた彼女の表情に一瞬影を見ていた気がしたが、全て終わった今だからこそ、そう思うのかも知れない。そう、全て終わった今だからこそ。

「来月、ある人と結婚することになった」

今日彼女の墓に参ったのはその報告のためだ。僕は花を添えると、手を合わせて彼女の成仏を祈り、その場を立ち去った。

(血の誓い、か)

彼女の墓から婚約者のもとへ向かう僕の脳裏に、結婚式での無邪気な笑顔が蘇った。血の誓い。なんて物騒な名前なのだろうか、と。

(あの後、その言葉は一度も聞かなかったな)

語感の不気味さから、彼女に問いただしたい気もあったが、ただの他愛ない宗教的儀式のようなものだと自分に言い聞かせ、一切それを口にすることはなかった。

(あるいは、とんでもない内容を聞かされるのが怖かったのかもな)

待ち合わせ場所から僕に向かって手を振る婚約者を見つけ、僕は頭から彼女のことを振り払った。彼女と、その一族の習わしのことを。

「ごめん、待った?」
「ちょっとね。お墓参りはもういいの?」
「ああ、報告はすませてきた」

婚約者には、ご先祖様に報告する、と言って墓参りをしてきた。律儀なのかいい加減なのか、自分でも自分の行動がよくわかっていなかった。

「じゃ、行こうか」
「ねぇ、その前に」

彼女は僕の頬を両手で押さえて、唇を近づけてきた。

「おい、こんなところで、誰か見て」

彼女は僕の言葉にかまうことなく口づけをした。そして……。

「……つっ!」

僕は、前にも経験したことのある痛みを感じ、彼女から一歩離れた。三年前と同じ場所を噛み切られた。直感的にそうわかった。

「これはね、ずっとずっと一緒にいられるように、っていうおまじないなの」

目を見開く僕に、彼女は無邪気な笑顔をみせた。

「肉体が消滅しても、ずっとずっと一緒にいられるように」

僕は、その笑顔に何故か見覚えがある気がした。

Fin.

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