monologue : Other Stories.

Other Stories

仮想感覚と仮想世界

「ねぇあなた、これどうかしら」
『新製品! 今期最注目の品です!』

妻が僕の服の裾をひっぱる。裾を持つ手の反対側の手には、天井からぶら下がっている広告がにぎりしめられていた。その広告には、新製品だの最注目だの、安っぽい文句が並べられている。

僕は、やっぱり妻との買い物は苦手だ、と思いながら答えた。

「どう、って、三ヶ月くらい前にも同じようなのを買ったじゃないか」
「あれはもう型遅れなの。今度のはお料理の種類が二千種類だそうよ」

彼女が今手にしているのは、"テイスト・イミテイショナー" という家電製品の広告だ。どんな機械なのか一言では説明しにくいのだが……。

" 実際は食べていないものを、食べた気にさせてくれる娯楽装置 "

とでも言えばわかりやすいだろうか。ヘルメットをかぶって使用するのだが、脳と神経に直接電気信号を送って、味覚や満腹中枢をコントロールするらしい。詳しくは企業秘密とのことだが。

「だってお前、それはこの間ワイドショーにも出てたじゃないか」

当然食べた気になるだけなので、栄養なんか取れるはずがない。お金もかからず美食を味わえて、しかもカロリーなんかを気にしないで済む。まあ、ある意味理想的な娯楽だと言えるのだろうけれど。

ところがこれが、予想よりもはるかに大きな規模となって若い女の子の間でヒットしたものだから、ちょっとした社会的問題になった。若い子たちが何人も何人も、栄養失調状態で病院にかつぎこまれるような出来事が起こったのだ。

「あれは若い子の話よ」
「そんなこと言ったって、若いから栄養失調になったわけじゃ」
「私たちくらいの年になって、分別がつかないこともないでしょう?」

つまりは、使いすぎて本当の食事をしなくなる、この事態を避ければいいだけのことだ。このことに関してはあらかじめ取扱説明書にも記載してあるので、企業側は一連の騒動で賠償金を払うことはなかった。使う側のモラルや常識度が問題なのだとか。

しかしそれでも、こんな装置、ないにこしたことはない。

「それでもお前、体重が減ったって言ってたじゃないか」
「あれは今までのダイエットが効果あったからよ」
「そんな言い訳ばっかりじゃ、いつ倒れて病院に運び込まれるか……」
「どうしてそんなに拒むの?……ははあ、あなた、自分を制御する自信がないのね」

妻が、いたずらっ子のような顔で僕を見る。口元には、嘲笑ともとれる笑みを浮かべていた。

「自分が病院に運び込まれたらいい恥晒しだ、なんて思ってるんじゃない?」
「馬鹿言えよ、僕は自分の管理くらいちゃんとできる」
「じゃあどうしてそんなに拒むの?もし私の身が心配なら、ダイエットもやめさせるべきよ」
「それはだな、こんな製品が売れるとまた何か良からぬことに……」

妻は目を細めて、にやにやしながら僕を見ている。

「もう、小難しいこと言ってごまかして、私の言った通りなんじゃないの?」
「冗談じゃない、こんなものが家にあったって、僕は目先の快楽には惑わされたりなんかしないよ」
「あらそう? じゃあ私がこれを買っても問題ないかしら?」

そう言う妻に一瞬ひるんだそのとき、耳元でピーとブザーが鳴った。

『予定使用時間、二時間が終了しました』
「コンピューター、三十分延期」
『了解しました。設定引継ぎ、三十分延長します』

ふう、と一息ついて、僕はまたその機械のお世話になる。眠気のようなものが襲ってきて、今の僕とはまったく違う僕になる。

今僕が使っているこの機械は、簡単に言えば、バーチャル・リアリティの世界に連れて行ってくれる機械だ。仮想現実へ連れて行ってくれる機械。あらかじめ設定した家族や友達と、仮想の世界でコミュニケーションをとる。

これは、脳と神経に直接電気信号を送る仕組みで、最近若い連中の間でヒットして……。

Fin.

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