monologue : Project K.

Project K

夢の向こうに

「ここ何週間か、ちょっと変わった夢を見るようになって。それも毎回同じ夢というか、続きの夢を見てるんだ」
「どんな夢?」

コーヒーカップを傾けながら、興味のあるのかないのかはっきりとしない様子で、女が男に尋ねる。オープンテラスカフェは彼らと同じような年代の若者ばかりだった。春の過ぎようという時期には、多くの大学生がいくらかの時間を持て余すのだろう。男はどこから取り掛かったらよいのか迷うといったふうに、ゆっくりと言葉を選びながら説明を始めた。

「その、夢自体は特別どうっていうことはないんだけど。どこか、別の国で暮らしてる。文化も価値基準も現実とは全然違うんだ。えっと……中東か東南アジアか、ちょっと不安定で発展途上な感じかな」
「毎日毎日?」
「そう、毎日。眠ってる間に向こうで起きて生活して、向こうで眠るタイミングにこっちで目が覚めるような」
「そりゃ疲れるでしょ、毎晩出張してるようなもので」
「そうでもないよ、割と楽しんでる。二重生活みたいなさ。今の生活は本当に安定っていうか、どうしたらいいかわからないくらいに平穏だから」

そんなものかしらね、と、変わらず興味があるかどうか曖昧な態度で、女が応える。視線はずっとカップに注がれたまま、ため息のような吐息をひとつついた。

「母さん、また同じ夢だよ」
「お前は昔から少し変わったところがあったからね。何かの憑き物だといけないから、一度占ってもらった方がいいのかも知れないね」
「いや、もうしばらくこのままでいるよ……面白いんだ、この夢。聞いたこともない言葉なのに意味がわかるし、朝起きたら何をやらなきゃいけないかちゃんとわかってる。働かないでもご飯が食べられて、夢のこととか、くだらないことを話して一日過ごすんだ」
「まあ、そんな夢物語に入れ込むようじゃ仕事に精が出ないでしょう」
「いいじゃないか、夢の中でくらい。僕だって、楽しみのひとつやふたつあったっていいはずなんだよ、きっと」
「その夢を見るようになってから変わったね。うわごとみたいに毎日毎日」

母親の言うことを話半分に聞きながら、少年は荷物をまとめて仕事の準備を始めた。父が戦争に駆り出されてから、生活はもうずっと安定していない。毎日畑と市場と寄り合い所を往復しながら、幸せについてぼんやりと考えて、打開策のないことに少しだけがっかりする。そして家に帰り着くと、あとは眠るだけ。

「いいじゃないか。眠ってる間くらい」

夢は、唯一の楽しみであり、唯一の安息となっていた。

「どうもすっきりしないな」
「何が? さっきのテスト? いいじゃない単位なんて後で取り返せる分には」
「夢だよ。前に話したろ?」

そうだっけ、と言いながら女は、メニューを指でなぞってぶつぶつと読み上げる。

「前は夜に眠るときだけだったんだ。でも、今日テスト中にうっかり居眠りしたとき、ちょっとだけ向こうに行ってた」
「向こう?」
「あの、どこだかよくわからないちょっと田舎みたいな国だよ。前はこっちで眠りにつくとき向こうで目が覚めて、向こうで眠りにつくときにこっちで目が覚める感じだった」
「で、今度は居眠りで向こうに行っちゃったの?」
「そうなんだよ」

不思議といえば不思議な感覚は、最初から続いている。同じような状況の夢を続けて、しかもこれだけ克明に覚えているなんて。

「で、こっちで居眠りしたら、向こうではまだ夜だったんじゃない?」

からかい半分に問いかける。

「うん……向こうでも居眠りしててさ。また寝入ったときにこっちに戻ってきた」

思わぬ回答に笑い声を上げる。女はメニューを放り出して、収まらない笑いの合間に考えるしぐさをしてみせた。

「嫌な整合性ね、笑っちゃうわ。……ひとつ聞くけど、毎日何時間寝てるの?」
「多分、六七時間だと思うけど」
「じゃその時間の間に、向こうの昼間を全部体験してるわけよね。向こうの人になってるときは、一日六七時間しか活動しないのかしら?」
「そんなことないよ、時計を見ないから正確じゃないけど……あまり今の僕と変わらないような周期じゃないかな」
「じゃあ君、一日が三十五時間もあるのかしら?」
「あれっ……」
「面白い夢だとは思うけどね。気にしすぎはよくないよ」

放り投げたメニューを拾って、もう一度メニューを読み始める。

浮かない顔のまま少年はうなだれていた。母親は、叱り付けたものか慰めたものか、困り果てた表情を絵に描いたような、そんな状態だった。

「でもね、お前、生きていかなきゃならないだろ」
「母さん、僕の言うことは信じてもらえないのかな。もうずっとそんな気がしてるんだ、畑で働いてるときも、市場で働いてるときも」
「でもお前、夢は夢だよ」
「ずっとそんな気がしてるんだ、こっちが夢なんじゃないのかって。……だとしたら、母さんは誰なのか、それもずっと悩んでるんだ。この前まで本当に僕の母さんだって思ってたけど、今は、夢の中の登場人物なんじゃないかって」
「呆れた子だよ」

母親は半ば諦めて、会話を終わりにしようとした。

「もういいよ、一日夢ばっかり見てるといい。嫌でも叩き起こされて、本当の世界で生きていくことがどれだけ大変かわからなくちゃいけないんだから」

「大変なことになった。寝るのが怖いんだ」
「どうしたの? あの夢の世界で何かあった?」
「……僕は、夢に逃避してるんじゃないか」
「夢? 向こうの世界に逃避してるの?」
「違う、こっちの世界が逃避なんじゃないか。あまりに現実が辛いから、夢の中に安定した、うんざりするくらい平穏な世界を作り出したんじゃないかって」
「……何があったの?」
「戦争が始まったんだ。何日かのうちに、僕も駆り出される」

「嫌だ、行きたくない!」
「この期に及んで! 父さんがどんな思いで戦いに行って、お前を守ったと思ってるんだい! 逃げ出させるためじゃないんだ!」
「でも僕は、死にに行くのなんてごめんだ」
「誰かが弟や妹を、村の皆を守らなきゃいけないじゃないか。父さんが死んで、お前の番が回ってきたことがまだわからないのかい」
「行きたくないんだ……」

響く着信音。叩き壊すような勢いでそれを取り上げる。

『あ、もしもし? どうしたの、何日も大学休んで。明日は』
「うるさい、僕を起こすな!」

それだけ早口に告げ、電話を切る。呻き声のように繰り返す。

「眠らないと、早く眠らないと……」

「おい新入り! 居眠りする暇があったら銃身の手入れをしろ!」
「嫌だ、こんなの本当じゃない。早く醒めて、早く醒めて……」

「だめだ、起きちゃだめだ。居眠りしてる間に殺されるかも知れない。早く眠らないと、早く現実に戻って、逃げ出す準備をしないと……」

「違う、違うんだ。あっちの世界に戻るんだ、現実に」

「これは夢だ、夢だ。こんなところで時間を取られるわけには」

「もう嫌だ……」

男の部屋を女が尋ねる。一週間ほど管理を放棄されていたことを表すように、新聞受けには朝刊がぎっしり詰まっていた。

「配達員も少しは気をきかせればいいのに、明らかに異常でしょこれ」

文句を噛み殺しながら、扉をノックする。返答はない。

「おーい。入るよ」

安アパートの鍵は、もうずっと壊れたままになっている。修繕費用を誰も出したがらないためだろう。ゆっくりと扉を押すと、鍵の掛かった様子はないが、内側で何かにぶつかったようで、それ以上開かなかった。

「うわ……何これ」

突っ掛かった扉の向こう側には、段ボールが山積みにされバリケードのようになっていた。まるで侵入者を防ごうとでもいうように。部屋は四方の壁に毛布やら布やらが貼り付けられ、防音室のようになっていた。窓はカーテンの上に何か、遮光のために重ねられているようで、部屋はまるで写真の現像用暗室のようになっていた。

「起こすな……って?」

シェルターのようにも見えるその部屋の中央に、一組の布団があった。つい今誰か布団から飛び出したように人型ができていたが、どこにも男の姿はなかった。

Fin.

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