monologue : Project K.

Project K

まくら

「すまんが枕の位置を変えてくれんか。寝られん」

収容型の小さな介護福祉施設で働き始めてから、もう三年と五ヶ月が経つ。やることといえば大概小間使いのようなことばかり、知識も技術も資格も持たない僕にとって、向上心を持たず大きな責任も伴わない仕事といったら、人手のなくて面白みのない雑用くらいだ。例えば、夜通し枕の位置を直し続けるような。

「ありがとうな。これでやっと寝られる」

数分の小さな調整で、彼は数分の安らぎを得られる。その数分前に、全く同じ台詞を僕に告げたことを、彼は覚えていない。また数分後に、僕に助けを求めるのだろう。肩が痛くて枕まで手が届かない、こんな位置では到底寝られそうにない。

「すまんが枕の位置を変えてくれんか」

また同じことを、本当に疲れ切って寝られるまで続けるのだろう。よく休むということはもしかしたら、枕の位置や種類を変えてみることの繰り返しなのかも知れない。

彼の話を、僕の恋人は面白半分に聞いていた。

「へえ、そんな人もいるんだね」

僕にとって当たり前の世界は、彼女にとって当たり前ではない。そんなこと、当たり前だ。彼女にとって眠りは自然に訪れるもので、何度も何度も枕を引っくり返さないと寝られない人間のことなど、想像することもできないのだ。知らないことも空想できないことも、何の罪でもないのだけれど。

「だって、ねえ? 何度も変える枕のことなんて考えたこともないもの」

オブラートに包んだ皮肉を意に介さず笑い、彼女は言う。

「私には、腕枕があれば十分」

僕の右腕に頭を乗せたまま、僕の眼を見ずに、彼女は言う。

「そりゃ、太ったり痩せたりはするかも知れないけど」
「ねえ」
「骨の形までそうそう変わらないでしょ? 骨折でもしたらわかんないけど」
「あのさ」

僕の眼を見て、彼女が言う。

「何?」
「枕、合わないんなら」
「……合わない?」
「もう僕の横で寝られないんなら、新しい枕を探しなよ」
「……」

知っている、彼女と僕との距離が離れつつあることを。それこそ、新しい枕を見つけただろうことだって。彼女は黙ったままベッドから這い出て、真っ暗な中で服を着ている、らしかった。

「今度は、ずっと寝られるといいね」

彼女は何も言わない。黙ったまま、部屋を出て行った。

誰だって、そうやって繰り返していくのかも知れない。よく寝られるように枕の位置を試行錯誤したり、新しい枕を見つけたり、やっぱり元の枕に戻したり、どうやったら穏やかに寝られるのか、ずっと悩んで繰り返していくのかも知れない。寝ることに限ったことじゃない。仕事や住まいや恋人や、自分が一番ぴったりくるものを、探して。

「そして、時には元の枕に戻したり」

そんなこんなで一週間前に部屋を出て行った彼女からの、一週間ぶりのメールを見ながらつぶやく。また隣に寝ることを試みる姿、を、想像しながら。

Fin.

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