monologue : Project K.

Project K

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「それで、今のところはっきりしているのは」

頭の先から爪先まで隙なく軍隊式の制服をまとった初老の男が、くたびれたシャツの上によごれた白衣をだらしなく引っ掛けている中年の男へ、厳しい視線とともに質問を投げかける。白衣の男が、透明のケースの中へ隔離された二十日鼠から目を逸らさないままで、指折り数えながら話し始めた。

「今のところはですね、大きく分けて四つのことが言えると思います。まず一つは、潜伏期間においてこのウィルスは人間あるいは動物の皮膚および粘膜にしか存在できないこと。宿主の表皮か、内臓粘膜のどこかにしか存在しません。内臓粘膜といっても、ほとんどが口腔付近か直腸周辺の体外に近い部分ですが」
「ふむ。今、その白い鼠にも?」
「ええ、十四日目です。ちなみに彼は百十六番目の哀れな子羊です」
「私には鼠にしか見えんがね」

少し間を置いて、白衣の男は少し気まずそうに言う。

「長官、軍部ではユーモアの講義なんてものは?」
「全く興味がないね。皮肉にもな。続けてくれ」

軽い咳払いをして、白衣の男が再び説明を始める。

「二つめには、一つめのこととも深く関わっているのですが、このウィルスは飛沫や空気を介して感染はしないこと。例えば感染者がくしゃみをしたって感染源がばら撒かれるわけではありませんし、同じ空気を吸っていたって感染はしません」
「皮膚にしか存在しないことと関わりが?」
「ええ。存在しないというか、存在できないのです。湿度か温度かあるいはその両方かもっと別の要素か、ともかく、このウィルスは生物の表皮から離れると、三十秒ともたずに遺伝子転写機構が機能不全を起こすのです。今日の今日まで現存してきたこと自体が奇跡的、としかいいようがないですね」
「あるいは先月生まれた新種かも知れない、ということだってあるだろう?」

おっしゃる通り、とつぶやきながら、白衣の男が透明のケースを指でなぞる。二十日鼠がケースごしに彼の指の匂いをかぎ、前足で引っ掻こうとする。

「三つめは、このウィルスは一定の潜伏期間を経たのち、細胞内に瞬間的な侵入を果たし、爆発的に増殖したかと思うと、他の細胞を巻き込みながらあっという間に自己融解……自殺をします」
「……ふむ」
「この自殺がまた規模が大きく、ほとんどのケースが主要臓器なんかを巻き込みますので、ほぼ確実に死亡します。理論上は生き永らえることもありうるでしょうが、私はそのケースを見たことがありません」
「……感染率は?」
「感染者のどこに触れたか、も重要でしょう。ペンキ塗り立てのベンチに座って汚れるか、汚れないか? そのレベルの話だと思ってください」

制服の男が顎をさする。

「と、いうことは、状況によってはほぼ百パーセントの感染率、ほぼ百パーセントの死亡率、というわけか」
「……宿主の死後、死体の内部と表皮ではかなりのスピードでウィルスが増殖し続けています。宿主に危害を及ぼす期間と増殖する期間が入れ違いの」
「それで、潜伏期間は?」

話をさえぎられたことに気分を害したのか、一瞬むっとした表情を見せるが、すぐに元の事務的な表情に戻って説明を続ける。

「きっかり一ヶ月、四週間です。六百七十二時間、まるで時計で計ったように」
「タイムリミットが過ぎたら膨れ上がって爆発して、くすぶった種火は次の爆弾の材料が死体に触れるのを待つ、か。四つめは?」
「……四つめは、このウィルスを駆除する方法を我々は見つけられていません」
「……なるほどな」

ふう、と、どちらともなくため息をつく。しかしその意図は全く異なったものであることに、白衣の男はすぐに気がついた。

「こいつは、うまくしてやればなかなかの秘密兵器、だな」
「……長官」
「聞こえんかね。軍事兵器としての価値を模索していただきたいのだが」

白衣の男の表情が、みるみる険しくなる。対照的に制服の男は、穏やかに余裕を浮かべた表情で、ケースの中をかぎ回る二十日鼠を見つめていた。

「僕は、治癒方法を見つけることが先決だと考えています。軍事費が流用できるなら何より優先するべきだ」
「私はそうは思わんね。それに、決定権は私にある」
「僕以外にこの研究が続けられるものか。データのほとんどは僕の私的なものだし、まだ論文のひとつも書き起こしていない。誰かが引き継ぐにしては時間がかかりすぎる、あなただってそれを望んではいないはずだ」
「脅し、というのは」

白衣の男に、制服の男がにじり寄る。一歩近づくごとにその顔つきは、まるで別人のように、猛獣か何かのような凄味を増していった。

「どちらかというと、我々の領域だな」

その迫力に気圧されて、白衣の男は壁際まで後ずさりする。が、すぐに冷静さを取り戻し、襟を正しながら言った。

「それでも長官、あなたは、感染予防研究のための費用を申請するべきだ」
「君の了解が得られなくても構わんよ。君の意思に関係なく研究を存続することはできるし、そのための方法も我々の得意とするところだ」
「時間がないんだ、長官」

制服の男は一瞬呆気に取られ、白衣の男は俯きがちに笑う。

「だってさっき、あなたは、僕と握手したでしょう?」
「……まさか」
「この研究のメインブレーンが失脚するまで六百四十二時間、あるいは、あなたの野望が費えるまで六百七十一時間、だ」

白衣の男が、制服の男に掌を見せる。その表情は恐怖に凍りつくようで、しかし誇らしげでもあった。二十日鼠が、彼の掌を、愛おしそうに追いかける。

Fin.

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