monologue : Project K.

Project K

胸いっぱいの花束を

いつもと同じ朝が私を待っている。あくびをひとつすると、私はベッドをおりた。窓に近付き、勢いよくカーテンを開ける。近付くと言っても、三歩も歩くほど私の部屋は広くない。

「……今日もいい天気だわ」

窓から町を見下ろす。四階にしては見晴らしの悪い部屋だ。狭い道と、薄暗い向かいのアパートが見えるくらいの。

「そろそろね」

時計に気付いてつぶやいた。玄関のベルが鳴る。

「今行くわ、待ってて。ジミーなんでしょう?」

ドアを開けた私を待っていたのは、予想通りの少年だった。アパートの管理人のお孫さんだ。

「あの、これ……」
「あら、いつも通りなのね。ありがとう」

ジミーは毎週末、私のところに花を持ってくる。遠い地に赴任してしまった私の恋人から、毎週末に花が届くのだ。私は週末に部屋を空けることが多いので、恋人が管理人宛に送ることにしたのだという。ジミーはまだ十歳なのにしっかりした子だ。

「それじゃ、僕は帰ります」
「今日もお茶は呼ばれてくれないのかしら?」
「あ、学校あるので……」
「たまにはサボってもバレないわよ」

私の悪い誘いも、彼はことごとく断ってきた。私も、フラれるのを承知で誘う。そして、今朝もいつも通りフラれた。

「いい加減年かしらね」

彼から花を受け取って部屋に引っ込む。ジミーが帰ってから、私が次にやることも決まっている。恋人からの手紙の開封作業。

「また季節感のない話だわね」

誰にともなくつぶやく。あの人の手紙はいつもそんな調子だった。

「年がら年中暖かいところだから、かしら?」

私も彼に手紙を書くが、それに関しての返事が来ることもまずない。そういうところも彼らしいとは言えるが。

親愛なるミランダへ

君の調子が悪くないことを祈りながら眠りにつく毎日だ。僕の仕事の調子はいつも通りだよ。いつも通り。機材のトラブルも少ない方だから、今回の仕事は恵まれているのかもね。

P.S. 返事を書いてくれているのだったら申し訳ない。今いるところは手紙が届きにくいんだ。

彼からの手紙はいつもこんな感じだ。戦争ジャーナリストなんて、随分危険な職業にも思えるのだが。当たり障りがないと言うか、平凡と言うか、どれもが平坦だった。

そのことに意味があるなんて、私は思いもしなかったのだが。

そして迎えた、ある週末の朝。一週間をモヤの中で過ごしたような、珍しくさっぱりしない朝。彼が向こうへ行ってから、ちょうど一年が経つ週末だった。

いつも通り町を見下ろした私に、玄関のベルが鳴った。

「……ジミーね?」
「おはようございます」

彼にしては珍しく、開口一番に挨拶をした。いつもうつむいてオドオドしたような彼が、今日は真っ直ぐ私を見つめていた。

「いらっしゃい。……今日はなにか?」
「僕、ミランダに言わなきゃいけないことがあるんだ」

わかってるわ、と私は言わなかった。ただ、ドアの前から立ち退いて、彼を部屋に招きいれた。彼は初めて学校をサボった。

「話ってのはなにかしら? あまり良くないこと?」

ジミーは黙ってうつむいていた。叱られる前にもこんな顔をするのだろうか。

「……僕、嘘をついてました」
「一から話してちょうだい」

彼の話はこうだった。

毎週末、私に届ける花は、ジミーが買ってきていたこと。私の恋人が出発する前に、彼にいくつか頼まれごとをしたこと。五十通あまりの、前後に脈絡のない手紙を受け取って、その中から無作為に一通選んで花と一緒に持ってきたこと。彼にもらった花のお金が尽きて、手紙も尽きて、今日打ち明けることにしたこと。

私は、何も知らないふりで聞いていた。

話が終わると、彼は二回頭を下げた。少しだけ涙目になって部屋を出て行った。

彼の、最後の手紙を置いて。

親愛なるミランダへ

今日は君に謝らなくちゃいけない。君と、ジミーに。
手紙を書いたのは僕だ。でも、花は僕が送るものじゃない。きっと、もう僕はこの世にはいないだろう。今回の取材には命の危険がある。かなり強烈な、ね。だから、……いや、だからと言うのも言い訳だな。君の生活からゆっくり消えたかったけれど、その方法を考える時間もない。せめて、僕がいないことに慣れてからこのことを知って欲しい。

君がこの手紙を見ることがあるなら、きっと僕はもういない。理由なんて思い当たるフシがありすぎて、限定できないんだ。君を幸せにできなくてすまない。別れのセリフも言えない。とにかく、今思いつくことを全て書き記そうと思ったんだが……ひとつしか思い浮かばなかった。

愛してるよ、ミランダ。

彼の手紙を握りしめて、私は窓際に立って町を見下ろした。ちょうどジミーが走っていくところだった。気まずい思いがあったのか、彼は一度も振り返らなかった。

予感は、あった。

先週の週末、私はいつもより少しだけ早く目が覚めた。ほんの少し、本当にほんの少しだ。そして、いつもよりほんの少しだけ早く町を見下ろした。そしてそこで、ジミーが花屋と何やら話し込んでいるのを見かけた。私は、恋人から送られてきたはずの花束が、ジミーが受け取った花束と同じでないことを祈っていた。

神様なんて信じてはいなかったが、これからも信じることはないと確信した。私の願いはどれも聞き入れられなかった。

走っていくジミー。走り去った恋人。私は涙目で、一体何を見つめていたのか。

今でも私は、朝一番に町を見下ろす。相変わらずの眺めだし、相変わらずの生活だ。少しだけ嬉しいのは、ジミーがたまに学校をサボるようになったこと。(これは、彼の祖父である管理人には内緒だけれど。)

いつか世界中が平和になったとき、私は彼の最期の仕事現場に行きたいと思う。彼が頼み、ジミーが運んだ何倍かの花を持って。そう、いつか世界中が平和になったときに。

この胸いっぱいの花束を。

Fin.

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